五月 横顔に藤



「藤を見に行かないか」
「行きませんけど?」
 何を言い出すかと思えば、また余計な仕事を増やそうとする。
「まぁ、そうにべもなく断らんでくれ」
 話を聞けば、街の近くにある藤の庭園が見ごろらしい。
「別に一人でいけばいいじゃないですか」
「男が一人でそんなところに行ってどうする」
「では職場の方と行かれては?」
「男ばかりで行ってもな」
「では妓女でも連れて行けばいいではないですか」
「俺はあんたと行きたいんだ」
「そんな暇はないです」
 忙しいのは事実だ。なんだかんだと家の仕事もあるし、やりたいこともある。彼の気まぐれに付き合ってる暇はない。
「いや、だめだね。一緒に行くんだ。"仕事"としてな」
「"仕事"……ですか」
「そうだ"仕事"だ」
 最近はこういう言い方をして何かと誘ってくることが増えた。契約をしてる以上雇い主からの仕事、と言われれば断りづらい。全てをのむわけではないけど、まったくもって迷惑だ。契約を結んだときはこんな無駄な指示を出してくるとは思ってなかった。契約の条件を失敗したと後悔している。確かに客は来ないし、親戚付き合いもほぼない。普通の家からしたら楽なほうなのだろう。契約の時に言っていたことに間違いはない。でも、こんなに用事を作ってまで出かけたりするようなことになるとは思ってなかった。
「……わかりました」
「じゃあ次の休みにな」
 何が楽しくて私と出かけようとするのか。本当に全くもって理解ができない。
「行けません」
 藤を見に行くと約束していた日。
「明日に回してもいいだろ」
「金銭を軽視する人間が信用できますか?」
 なるべく終わらせるようにしてはいたが、どうしても計算が合わず約束の日になっても仕事が終わらなかった。信用の大事さはわかってるだろうに何をふざけたことを、と思うし何より任されていることはきっちりと終わらせたい。さらに言えばできれば行きたくない。いや、こっちのほうが本音なんだけど。
「わかった。じゃああとどれぐらいで終わるんだ?」
「一刻か二刻か……お昼まではかかるかもしれません」
「じゃあちょうどいい、店で待ち合わせてそこで食事をしてから行くようにしたらいい」
 楽しみが増えたと言わんばかりの顔と反対にわたしの気持ちはどんどん元気を失っていく。
「ちゃんと着飾ってきなさいよ」
 念を押す言葉が余計に私を苛立たせた。

 やっと仕事が片付き、ほっと息をつく。思った以上に時間がかかってしまった。気づけばくだらない書き間違いでそれがわかってしまえばなんてことはなかった。書き間違えた者には注意をしたし、最後の計算はきちんと合った。確認のために下女頭に書類をわたし、いま何時になったかと聞く。帰ってきた返事はとっくに待ち合わせの時間を過ぎている。
 今から準備をして車で向かったとしても当然大幅に遅れてしまう。今からでもいけないと伝言を送ろうか、と悩んでいると確認していた下女頭が
「遅れてでも行ったほうがよろしいですよ」
と微笑みながら伝えてくる。
「今さら行ったって仕方ないと思うけど。それにもう時刻は過ぎているし、待ってるかもわからないし」
「旦那様ならきっと待ってらっしゃいますよ。それに怒ることもないでしょう」
 当たり前のようにいう下女頭を不審な目で見る。たとえ怒ることはないとしても、謝罪としてまためんどくさいことを言われそうな気がする。あのにやついた笑いを思い浮かべてまた気が重くなった。そんな私を知ってか知らずか下女頭は話を進める。
「さぁ、悩んでいるよりはお仕度をされてはいかがですか?車は私のほう呼んでおきますから」
 言われるがままに椅子に座らされ着ていくはずだった服を並べ、下女を呼ぶ。化粧をされ髪を結われている間も行きたくないという気持ちが強かった。今から行ってもお昼どころかおやつ時だ。予定より一刻以上も待たされて、大人しく待っている人だとも思わない。着飾っていったところですでにいなかったら?どうせ嫌味や文句を言われて罰されるなら、こんなことせずに家で別の仕事をしていたほうがいいのでは?考えている間にも支度が終わり、車に乗せられ、待ち合わせの店に着いた。

 車から降り、下女にまだ待っているか店に確認しに行かせる。下女の帰りを待っているとふわりといい香りがした。どこから香ってきてるのかと辺りを見渡すと、二人の男性が店から出てくるところで視線が合う。身なりからして身分が高そうだと思い、礼をして首を垂れるとその二人は少し微笑んだような気がしたが、そのまま去っていった。あんな知り合いはいないはずだけど、と考えていると下女が戻ってきた。まだ待っているらしい。
 こうなっては正直に謝って罰を受けるしかないか、と腹を括り彼のもとへ向かう。
「遅れてしまい申し訳ありません」
 その姿をみつけ、頭を深く下げる。さぁ、返ってくるのは叱責が皮肉か。
「お、ちゃんと着飾って来たな」
 そのどちらでもない言葉と、機嫌がよさそうな声がして驚く。
「じゃあ行くか」
 遅れたことなどなかったかのようにさっさと私の横を通り、店を出るので慌ててそのあとを追った。

 後をついて藤の木まで歩く。幹の近くに立つと確かに立派な枝が伸びている。見上げればたくさんの花が風に揺れている。その儚げな美しさの連続は見事だと思った。上ばかり見ていては転びそうだと思いつつも、つい上を見て歩いてしまう。
「正直、昼を過ぎた時点で来ないと思っていたんだが……。あんたがちゃんと来てくれたのはうれしい誤算だったな」
 藤の花に気を取られてすぐ後ろにいたことに気づかなかった。思わず立ち止まると肩に手をかけられ、くるりと回転させられる。
「それにこんなかわいい姿でな。馬子にも衣装とはよく言ったもんだ」
「褒めてるんですか?馬鹿にしてるんですか?」
「褒めてるさ。いつもの姿も悪くないが、今日のめかしこんだ姿もいい」
 あんなに待たせたはずなのに、妙に機嫌がよくしかも褒めてくるところが気味悪い。
「いつももっと着飾ればいいと思うんだがね」
 顔に触れようと伸ばしてきた手を払いのける。
「それがお望みなら”仕事”として命じればいいんじゃないですか?」
「あんたが望んでそうしてほしいんだがねぇ」
「じゃあ、望みはないと諦めてください
」  馬鹿らしい、と切り捨てる。背中を向けて離れるように歩き出す。誘われてきたのは癪だけど、どうせ来たのだからと藤の花を楽しもうとまた紫の天井を眺めた。ゆらゆらと揺れる姿は春のうららかな光を浴びて幸せそうに揺れている。空を覆うぐらいに長く伸びたこの枝はいったいどれぐらいの時を掛けて伸びたのだろう。少しずつ、毎日では気づかないほど、でも確かにその枝を伸ばしたその結果がこの枝と花たちなのだと思うと気が遠くなる。

 ふと振り返ると少し離れたところに同じように上を向いて花を眺めてる文和がいた。そういえば、待っていた、というのは本当に意外だった。来ないと思えば見切りをつけてどこかに行っていると思っていた。遅れれば置いていく、そんな冷静な判断をする人だと思っていたけど……。思い返せば共にいると無駄な行動ばかりしているような気がする。物や花を贈ってきたり、今日みたいにどこそこに一緒に行こうと誘ってきたり、琵琶を弾かされたり、そんな本当の夫婦みたいなことをしてなんになるんだか。そんなことを考えていたらこちらを向いた文和と目が合った。
「なんだ?おれに見惚れていたのか?」
「それを自分で言えるなんて幸せな人ですね」
 こっちに向かいながら軽口を叩きだす。見ていたことを見られたのは迂闊だった。今日は本当にどうかしてる。誤魔化すように話題を変えた。
「それはそうと、遅れてきたことに文句はないんですか」
「あぁ、いい。来てくれただけでいいと言っただろ」
「賞罰ははっきりしていないと示しがつかないと思います」
「ん-じゃあそうだな、ならあんたには俺と碁にでも付き合ってもらうようにしようか」
「碁なんてしたことないんですよけど」
「なに、あんたならすぐ覚えられるさ」
 飄々と笑いながら前に歩き出す彼の背中を見ながら、自分の行動が招いた結果とはいえまた余計な仕事が増えてしまったとため息が出る。
 ため息をさらった春風が柔らかく文和の髪を揺らした。


◆ ◆ ◆



 約束の時間は過ぎた。
 待ち合わせの店で外を眺めながら行き交う人を眺める。二階の窓際の席だから道がよく見える。
 家からここまでは距離があるので、来るなら車を使うだろうと思い見ていたが、その姿は一向に見えない。午前中には仕事を終わらせると言っていたので、昼頃にここで待ち合わせ、食事をとって藤の花見に行く。そう約束したつもりだった。
 仕事、と念押しをしたのでふいにされることはないと思っていた。が、最近その手を使いすぎたかもしれない。仕事に対して生真面目な性格を利用して、そう銘打てばよほどの理由がなければ渋々ながらも頼みを聞いてくれることに気づいてからは、仕事、と言いくるめてきた。どこかに共に行くなり、そばにいさせるなり、だ。不機嫌そうな顔をしながらも従ってくれる様が、いままで痛い目をみせられた分だけおかしく、そしてかわいく思えた。が、さすがに今回はとうとうその許容点を超えてしまったか。
 さはさりとて、だ。あいつのことだから筋は通すはず。来ないとしても、使いの一つでも走らせると思ったが。それも来ない。
 さてどうしようか。夕方まで時間をつぶして帰って夜に恩着せがましくつついてやろうか。いや、「ああそうですか」の一言で終わってしまうか。来なかった罰は何かで与えたいものだが。
 もう待っていても仕方がない。どこかふらりとして帰るか、そう思って立ち上がろうとしたとき、見慣れた二人が道を歩いているのが見えた。おおい、と声を掛け、軽く手を振ると二人がこちらを向き、一人がこちらを指さした。階下に降り、店の前まで出ると二人が並んで立っている。荀彧殿と荀攸殿だ。
「あんた方とこんなところで会うなんて珍しいこともあるもんだ」
「公達殿が仕事ばかりしている私を気遣って誘ってくれたんです」
「文若殿といえど、たまには休息を取らないといけませんから」
「俺からみたら二人とも働きすぎだと思いますがね」
 この二人は真面目すぎるのもあって、こちらからみたらどちらも心配になるぐらいだ。
「賈詡殿こそ、こちらで何を?まさか一人で花見、ですか」
 近くに例の庭園があるので、ここは花見客の休憩によく使われていることから予想したのだろう。実際その目的でここにいるのだから間違いではない。
「そうだといったら?」
「貴方を見る目を変える必要性がありそうですね」
 荀攸殿のいつもの真顔での返事が本気でそう思っていそうでおかしくなる。
「あっははぁ、そうだったら面白いんだがね」
「もしかして待ち合わせですが?」
 荀彧殿が、あれ?でも確か最近ご結婚されていましたよね、と思い出したようにつぶやいた。
「ああ。ただ、実は約束をすっぽかされたみたいでね。ここで会ったのも何かの縁だ。一席ともにしませんか」
 二人は特に問題もなかったようで了承してくれた。

 食事を終え、三人で碁を打ちながら話をしていると、いつのまにか自然と仕事の話になってしまう。これでは休みになりませんねと荀彧殿が苦笑したところで、そういえば奥様はどんな方なんですか?と話を振られる。
「そうだな、一言でいえばじゃじゃ馬、といったところかな」
「じゃじゃ馬、ですか」
 二人が意外そうな反応をする。
「そう、俺の言う事なんか素直に聞きやしないじゃじゃ馬だ。ま、そこがかわいいんだがね」
「なんだか意外でした。賈詡殿なら、もっと理知的で落ち着いた女性が好みかと」
「あっははぁ、ま、そちらのほうが御しやすかったかもしれんが、芯の強いところは俺好みでね」
「まさか賈詡殿から惚気話がきけるとは……」
 ここに、郭嘉殿がいれば散々にからかってきただろうが、この二人ならそんなことはない。話の流れで逆に二人の惚気話を聞き出し、いつか酒宴の席でまた掘り返すことにしようなどと思いながら話を続ける。そんな他愛もない話をしていると、店の者から、うちの下女がまだ主人がここにいるかと確認しに来たことを伝えられる。もう来ないだろうと思っていたが、意外にもうちのじゃじゃ馬が来たらしい。
「では、私たちはこれで」
「付き合ってもらって申し訳ないね」
「いえ、楽しい話ができてよかったですよ」
 それでは、と二人が席を立つ。部屋の外まで見送ると、返事を待っていた店の者にまだここで待っていると伝えてもらい、そのまま部屋で妻が来るのを待った。

 部屋に入ってくるなり、
「遅れてしまい申し訳ありません」
と頭を下げる。相変わらず仕事に対しては変に真面目なんだよな、と思いながらその姿を見るといつもの簡素な服とは違い、奥方としての落ち着きもある華やかな装いをしてる。
「お、ちゃんと着飾ってきたな」
 本人はどうせ本意ではないだろうが、その姿を見て満足する。
「じゃあ、行くか」

 連れだってすぐそばの庭園に着く。噂に聞いていたように見事な藤が咲いていた。なるほど、見に行ったほうがいいと言われるわけだ、と思っていると後ろにいた妻が上を見上げながら前に歩いていく。いつもは何事にも冷めたような興味なさそうな目でいるが、藤を見上げる目は嬉しそうに見える。花を贈るときだけは素直に受け取ることが多いから、そもそも花が好きなんじゃないかと思っていたが、その予想は外れていなかったらしい。
 誘ってよかった。そう思いながら妻の後ろを追う。
「正直、昼を過ぎた時点で来ないと思っていたんだが……。あんたがちゃんと来てくれたのはうれしい誤算だったな」
 立ち止まった妻の肩に手をかけ、くるりとこちらに向きなおさせる。
 その姿をまじまじと見つめる。白い肌に目尻の赤。髪はいつもより華やかに結い上げ、いつか渡した耳飾りや腕輪をつけている。いつもよりゆったりとした風に舞う柔らかな衣服が女性らしくかわいらしく見えた。
「それにこんなかわいい姿でな。馬子にも衣装とはよく言ったもんだ」
「褒めてるんですか?馬鹿にしてるんですか?」
 素直に褒めていたらどんな反応をしただろうか。俺の言い方が悪いのはわかっているが、途端に妻の顔が険しくなる。喜んだ顔なんて見たこともないが、こういう不機嫌な顔はいつでも見れる。不機嫌でも反応が見たくてついついふざけてしまうのが悪い癖になっている気がする。
「褒めてるさ。いつもの姿も悪くないが、今日のめかしこんだ姿もいい」
 普段の姿も彼女らしい姿だと思う。だが、自分が渡したものを身に着けてもらえてるのはやはり嬉しい。
「いつももっと着飾ればいいと思うんだがね」
 もっとよく顔を見ようと手を伸ばせばいつもの調子で払われる。
「それがお望みなら”仕事”として命じればいいんじゃないですか?」
「あんたが望んでそうしてほしいんだがねぇ」
「じゃあ、望みはないと諦めてください」
 ぷい、とそっぽをむいて行ってしまった。
 あの調子ではやはりここに来る気は本当はなかったのだろう。朝の感じでも五分五分ぐらいだろう思っていた。いつか、自分から着飾ってくるようにしてみせるさ。
 離れたところでまた上を見上げ、花を見ている。それにつられて俺も見上げる。あの枝の一つでも手折って髪にでも挿してやろうか。今日のひらひらとした出で立ちにはよく似合うだろう。そう思って妻のほうを見れば視線が合う。俺のことを見ていた、ということは俺のことを考えていた、なんていうのは都合がよすぎるか。
「なんだ?俺に見惚れていたのか?」
「それを自分で言えるなんて幸せな人ですね」
 いつも通りのそっけない返事だ。
「それはそうと、遅れてきたことに文句はないんですか」
「あぁ、いい。来てくれただけでいいと言っただろ」
「賞罰ははっきりしていないと示しがつかないと思います」
「ん-じゃあそうだな、ならあんたには俺と碁にでも付き合ってもらうようにしようか」
「碁なんてしたことないんですよけど」
「なに、あんたならすぐ覚えられるさ」
 これでまた一つ、俺に付き合ってもらう口実ができた。少しずつでいい、俺のほうを向いてくれれば。