幕間 初夜



 とうに陽は落ち、月も生憎の雲で隠れ灯りだけが照らす廊下を歩く。婚姻の儀が終わり、この歩みを進める奥には寝室だ。この扉の向こうに妻となったあの小娘がいる。扉の前で立ち止まり耳を澄ます。中からは琵琶の音が聞こえた。され、どんな顔でいるものかとその姿を想像し扉を開けた。
 ギッと音を鳴らし部屋に入ると、花嫁衣裳から寝衣に着替え髪を下ろし牀に腰かけている後姿が目に入る。灯りがわずかに灯った部屋は薄暗く、その時のためにしつらえてある。扉の開く音で俺が来たことに気づいているはずだが、娘は振り返りもせず琵琶を爪弾き続けている。
「そばかすがあるんだな」
 隣に座り娘の顔を見つめる。化粧を落とした素の顔が見えた。そういえば年の割に化粧が濃いと思っていたが、これを隠すためだったのか。
「そばかすがあったから契約を取り消す、なんて今さら言わないでしょうね?」
「そんなことは言わんよ」
 手で頬をつつみこちらを向かせ、親指でそばかすを撫でる。少し嫌そうに眉をよせ、目線を外に向けているがされるがままに触らせている。触られた感触か、それとも手の熱があの時を思い出させているのか次第に娘の頬が赤く染まっていく。
 こういう顔もするのか、と頬を引き寄せ口づけをしようとしたとき
「待って」
と押し返された。
「私だって、その、恥ずかしいと思う気持ちはあるの」
 そらされた視線と染められた頬。花嫁になる、というのは女心に響くのか?これほどまでにしおらしくなるとは。新たな一面を見てしまったようで少し驚く。
「心の準備をしたら向かうから、先にあっちへ行ってて」
 指さした先には準備された寝台がある。花嫁の恥じらいに免じてここはおとなしく従ってやろう。寝台の上に乗り、娘を待つ。
「さぁさ、こちらの準備はいつでもできているが」
「……灯り、消すから」
 ふっと吐息で灯りが消され部屋が真っ暗に変わった。月も隠れた夜だ。恥じらいを隠すにはもってこいだろう。
 ギシっと寝台が鳴る。肩を押され布団に押し倒される。妓楼にいた女だ。やることはわかっているはずだ。見られていなければ恥じらうこともないというわけか。素直にしたがってやるとぎゅっと上から抱きしめられる。柔らかい感触が俺を包む。しばらくそうしていたかと思うと、ゆっくりと下に下がっていく気配がし、足元に重心が移る。恥じらっていた割には積極的だな……。いや、自分が主導することでしのごうとしているのか?腹の上に頭のようなものが乗る感覚がして撫でようと手を上げようとして気づく。手が動かない……?
 ちょっと待て、何かおかしくないか?
 その時、雲から月が晴れ部屋を照らす。俺の身体が布団にくるまれ、その上紐で結ばれているのが目に入る。腰のあたりで上に乗り、今まさに最後のひと結びを終えた小娘がにっこりと笑っている。
「だって契約したよね?行為はお互いの同意があればって。まさか初日に契約違反して妻が行方をくらましてもいいってわけ?」
 最後の紐を結び終え、娘が俺の横に座る。
「素直に抱かれるとでも思った?」
 ニッと目を細めて笑った。

「全く、なんでそんなに抱かれるの拒むんだが。あんなところで仕事していたなら慣れているだろ」
 呆れながら話しかける。何とか布団から脱出しようと試みるが思った以上に縛りがきつくなかなか抜け出せそうにない。
「私は好き好んで身体なんて売らないの。だから琵琶を弾いていたんだけど?そもそも男に抱かれて楽しいなんてことないから。そういうわけで、私はお断りし続けますので」
「ははぁ、なるほどね。ま、俺は誘い続けるがね。かわいいあんたをまた抱きたいからな」
「また?」
「忘れたのか?あんなに楽しんだのに」
 娘が俺の顔を見てしばらく黙り込み、フッと笑いだす。
「…………あぁ、抱かれてなんてないけど?」
「何言ってるんだ、あんなに悦んでいたくせに」
「あの時、甘い香りの香を焚いていたのを覚えてる?」
「ああ、しばらく服に染みこんでなかなかとれなくてな。周りにからかわれて大変だった。まったく焚きすぎだろう」
「あれ、幻覚と睡眠作用のあるお香だったんだよね」
「は?」
「夢の私がどうだったかは知らないけど、その感想から察すると大変"楽しまれた"ようね」
「嘘だろ」
「あぁ、それで私が自分のモノになったとでも思ってわけだ。おじさんは」
 ニヤニヤとした笑みを浮かべながら俺の髪をすくう。
「……そのおじさんってのはやめろ」
「おっさんって呼ばれるよりはいいでしょ」
 指で髪を弄びながら勝ち誇ったような顔で俺を覗きこむその顔が憎たらしい。
「仮でも夫婦になったんだ。その呼び方は変だろう」
「じゃあ、なんて呼んだらいいの?」
「あるだろ、あなたとか旦那様とか文和様とか」
「じゃあ文和」
「……」
「文和?」
「……もう知らん。寝る」
 暴かれた過去の真実と現状とすべてが馬鹿らしくなって、身をよじりながら背を向ける。後ろからは楽しそうな声が聞こえる。
「あはは、本気でマズい時は言ってね。その時は紐解いてあげる。おやすみなさい。いい夢を。文和」
 後から娘の弾く琵琶の、曲にもならない手遊びのような音を聞こえないふりをして目を閉じた。