連理の契



 その日は空も高く気持ちの良い秋の日だった。たまの休みだった俺は街をブラブラと歩いていた。仕事となれば部屋にこもって書類の処理か、戦となれば軍師とはいえ戦場でも特に殺気立った前線に立ったりもする。たまの休みだ、のんびり家に篭もるのもいいがこんな天気の時ぐらい外を気ままに散歩するのもいいだろう。街の賑やかな声を聞いているのも気持ちがいい。気の向くままに歩いていると街の喧噪も落ち着き、気づけば外れのほうまで来ていた。確かもう少し行けばなにかしらの廟があったはずだ。そこまで行って一休みでもしようか。そう思い歩を進める。

 廟の近くまで来ると、楽器の音が聞こえてきた。誰かいるのかと思い、塀から覗くと一人の男児が食い入るように琵琶を演奏する娘を見ている。弾いているのは姉か母か、はたまた男児の初恋の姐さんか。簡素にまとめられた髪と衣服をみるに、どこかの下女か旅の一座の一人か。男児のいじらしい視線もものともせず奏でている曲を聞けば、その腕はなかなかなものと感じる。
 少年に向けて弾いているのだろう。華やかで楽し気な楽曲が心を弾ませる。こんなさびれた廟などではなく、街なかで演奏すればいい投げ銭でも貰えるだろうに。
 曲が終わると、男児は嬉しそうに手を叩き彼なりの賛辞を贈っている。俺も通りすがりながら見事な演奏を聞かせてもらったには違いない。どれ、休日をより楽しませたお礼にでも軽く心づけでも渡してやろうかと思い、娘に近づいた。
「おい姐さん、あんたの演奏なかなかのものだったよ」
「それはどうも」
 褒めたのにそっけない返事。そして振り返った顔を見て浮かれていた心が別の意味ではねる。青蓮田。忘れるはずもないその顔は、あれから数年が経ちより大人びた顔にはなっているがその眼を間違えるはずがない。初めて会った時のまだ子供じみた小生意気な眼。妓楼で会った時の挑発的な眼と甘く乱れた眼。幾度となく思い出していたこの眼。会えるものならまた会いたいと思っていた眼。
 思わぬ出会いに息を飲んでいると向こうもこんなところで会うとは向こうも思っていなかったのだろう。俺の顔を見た瞬間琵琶を抱きかかえ、さっと逃げの態勢をとる。
「なに?まだ私に何か用があるっていうの?」
 挑発的な態度はなんら前と変わることはない。前回会った時のことを思えば当然だが。と、前回の出来事をまざまざと思い出しにやりと笑みを浮かべる。
「用、用ねぇ。前に会ったときはあんなに二人で楽しんだのに随分とつれないじゃないか」
「前、ね」
 青蓮は横にいる男児をちらりと見、引き寄せた。
「前にあったとき、といえばこの子に見覚えはない?」
 男児の顔を手のひらで寄せ、俺に顔を向けさせる。前に会ったとき、つまり妓楼には当然男児なんているわけがない。向けられた顔をまじまじと観察する。まっすぐな黒髪と、切れ長の目。と、その容姿を改めて確認し、まさか、とギクリとする。
「おいお前、年はいくつだ」
 そう聞くと少年は黙って指を四つ立ててこちらに迎える。年の計算は合う。
 俺が一瞬たじろいだのを見逃さなかったのだろう。
「こんなに可愛く育ったのに、気づいてもらえないなんてあんたも可哀そうな子ね」
 男児の頭を胸に寄せ、こちらを見ながらその頭を撫でる。
「いや待て、あんたはあの後勝手に消えただろう」
 まさかと思いつつも、背中に冷たい汗が流れそうになる。たった一回だぞ?そもそも妓楼で働く女だ。俺のと決まったわけじゃない。それにいなくなったのは向こうの都合だし、産んだのも向こうの都合だ。ここで出会わなければ知ることもなかっただろうに、なんで俺は声をかけてしまったんだ。一瞬の内に頭の中が思考で一杯になる。
 大事そうに子供の髪をなでる青蓮が、ひどい男、とでも言うような目で俺を見つめる。やめろ、そんな目で見るんじゃない。
「……梅姐(メイジェ)?どうしたの?」
 子供の放った一言が張り詰めた空気にヒビを入れる。
「……あんた、またやってくれたのか」
「あなたが馬鹿な挑発さえしなければ言わなかったけどね」
 引きつりそうになる顔を抑えながら睨みつけるが、狼狽えた姿を見られた後ではふっ、と鼻で笑われただけにしかならなかった。
「坊ちゃん、先にお家に帰ってなさいな」
「梅姐は?」
「あとで向かいますから、ご心配せずに」
 男児の背中を見送りながら、青蓮が立ち上がる。
「それで?まさかあの曹操に従っている軍師様が私みたいな下女に用なんてないですよね?」
 早くどこかに行ってくれと言わんばかりにツンと横目でこちらを睨みながら牽制をかけてくる。
「そこまで知っているのか」
「あのあと一応は調べさせていただきましたから。用がないならこれで」
 すっと去ろうとした青蓮に近づき、肩を慌てて掴む。
「待て、念のために確認させろ。俺の子ではないんだな?」
「まさか」
 肩を掴んだ手を払いのけながら答える。方眉を上げ、馬鹿なことをとでも言いたげな表情でこちらを笑う。
「私があなたの子なんて産むわけがないでしょ。それに四つと指を出してたけど、あの子五つになるんだし」
 五つなら確かに計算は合わない。
「じゃああの子は誰なんだ」
「今働いている家の息子だけど。あなたに似ていたのはただの偶然。残念でしたね」
 青蓮の皮肉まじりの言葉と、自分の企みが簡単にバレたというのにこの余裕。決して自分の歩調をを崩そうとしないこの態度。何年たってもこの娘は変わることがない。
「用がないなら私も帰らせてもらうから」
「ないつもりだったがな、今できた」
 怪訝な顔で青蓮が俺を睨む。俺は前々から考えていたことを試すなら、今だと思った。これを逃したらおそらく次はないだろう。
「今、できた?」
「そうだ。どうせ勤めている家はこの近くなんだろう?」
 主人の小さい息子を一人で帰らせるならすぐそばのはずだ。追えばその家を突き止めることができることを暗に仄めかし、断る道を一つ塞ぐ。
「楼主に聞いたがあんた、金を払えば仕事を請け負うらしいな。一つ頼みたいことがある」
「確かに、そういう仕事はする。でもあなたから仕事う請け負う義理はないけど?」
「まぁ、そういうなよ。これはあんたにしか頼めないことだ」
 懐から財布を取り出し、そのまま青蓮に投げ渡す。
「これは前金として渡そう」
 青蓮は投げられたものを反射的に受け取った。
「ちょっと、これ」
「受け取ったな?なに、とりあえず話を聞いてくれればいいのさ」

 投げ返そうとするのを制し、言葉を続ける。
「西の端に紅華楼という店がある。三日後の夜に来てくれ。詳しいことはそこで話そう」
「断る」
「待て待て、あんたはこれでまた俺に居場所を知られた。つまり近いうちにあんたはここを去らねばならないと考える。そうだろ?どうせならいっそ俺のそばにいるのはどうだ」
「これを持って逃げてしまうかもしれない、とは考えないの?」
 皮肉をこめた意地の悪い言葉と表情を投げかけてくるが、仕事に対しては矜持をもつ女だ。
「あんたはそんなことはしない。それに悪いようにはしないさ」
 青蓮は訝し気な目でこちらを見つめる。返答をしようしてか口を開きかけたとき、
「梅花、どこにいる」
 男の怒気をはらんだ声が響く。おそらく息子だけが返ってきたのを不審に思った雇い主が探しに来たのだろう。青蓮が後ろを気にするそぶりをみせ、ちっと舌打ちをする。そのまま俺から距離をとると、さっと駆け出し塀の向こうへと消えていった。
さて、どうなる。二度も飛び立った鳥を、見事籠に入れられるだろうか。


 三日が過ぎた。
 日が暮れるころ、約束した店の隅の席に座る。手元には一つの桐の箱。店員には待ち合わせをしていると伝え、席につく。かなり待たされたが、遅い時間になってやっと黒い上衣に頭巾を目深にかぶった娘が来た。別れ際の様子だと、抜け出すのに時間がかかったのかもしれない。ひざ下まである長い上衣でその下がどうなっているのかはわからない。向こうも向こうなりに準備はして来たのだろう。
「お、来てくれたな」
「こんなものを前金として放り投げたあなたに免じてね。何も手を付けてないから。どうぞ、確認して」
 立ったまま席にもつかず俺の財布を机の上に放り出す。
「確認しなくても、そんな狡いことをするような奴じゃないのはわかってるさ。とりあえず、座りなよ。何か食べるか?」
「取引の場でほいほいと食事に手を付ける馬鹿に仕事任せる気?」
「そういうところが気に入ったんだ」
 あははぁと笑う俺に、娘はため息をひとつつき席に着く。
「で?私と食事の席を共にしたいのが頼みでもないでしょう?」
 頭巾の奥で冷めた目がこちらを見つめる。
「まぁね。あんたが今いる家、かなり羽振りがいいようだな」
「……それが?」
「それもここ数年急に、だ。"なぜか"急に競合相手の店が傾いたり、"なぜか"とある土地で枯渇してるものを大量に売り出したり、"なぜか"ぽっとでの商家のくせに役所にまで出入りをし始めた」
「……」
 娘の目の色がすっと変わる。
「うち旦那様はやり手なのよ」
「あんたがあの家で働き始めたのもそれぐらいらしいな」
「そうだったかしら」
 とぼけるという事は、俺が分かっていることに気づいているのだろう。この三日間で青蓮が働いている家を探し出してみれば、最近羽振りがいいがいい噂の聞かない商家だと分かった。どこからか略奪先を嗅ぎつけると、法にぎりぎり触れないような阿漕な手段で陥れ、その富を掠め取る。たまたまと主人は言っているが、そんな都合のいい話はどこからきている?
 じっと娘の顔を見つめ、にやりと笑ってやる。全て知っているぞ、と。沈黙は雄弁よりも効く。相手に後ろ暗いことがあるなら余計に。
 しばらく無言でのにらみ合いが続いた後、青蓮がふっと息を吐き出した。顔の前で手を組むと口元を隠して話し出す。
「で、私なんかに何を頼みたいの?言っとくけど、情報ぐらいしか売れるものなんてないけど」
「俺と結婚してほしい」
「はぁっ!?」
 全く予想もしてなかったのだろう、珍しく素っ頓狂な声を上げ驚く反応が見ていて面白い。後ろに身を引いたせいで頭巾がずれ、その驚いた顔がよく見える。
「頭おかしいんじゃない?」
「いいや、本気だ」
 戸惑いの表情のまま、しかし席を立つ様子はない。話はまだ聞いてもらえそうだ。
「あんた、文字の読み書きや計算はできるか?」
「……一応」
「家事は?」
「商家の下女として働けるぐらいには」
「琵琶は弾けたな。ほかに特技はあるのか」
「そこまで手の内を明かすと思ってるの?」
「明かしてもらえるなら知っておくに越したことはないからな。それぐらいできるなら問題はないだろう」

 仕事の内容は俺と結婚し、俺の妻としてふるまい、家のことを取り仕切ること。
期間は一年。前金は今のこの分をそのまま渡す。
継続はお互いが同意すれば。継続なら、そこでさらに一年分わたす。打ち切りなら残りの分をわたす。
仕事上で必要なものはこちらで準備するし、支払いもする。
客を呼ぶことはないし、人が訪ねて来ることもないだろうから煩わしいことは少ないはずだ。
契約を打ち切る時はどこかに旅行に出てそのまま行方知れずにでもなればいい。

「どうだ?悪い条件じゃないだろう?」
 娘から返答はない。
「何が不満だ?」
 目線を机の上に落とし、逡巡した顔をしている。片手で口元を隠しながらもう片方の指でテーブルを叩く。コツ……コツ……という音が響く。
「不満というか、まず私にそれを頼む意味がわからないんだけど」
「そうだな。じゃあ説明してやろう。理由は三つある。まず一つは、結婚していないと世間での評価が悪いんでな。いい加減にしておきたいというのがある。それと、知っているだろうが俺は降将だ。変に目立ちたくないし、婚姻関係で政争に巻き込まれるのもごめんだ。最後にあんただ。」
「私?」
「そうだ。あんたのその物怖じせず、大胆に動き、臨機応変に対応できるところ。まぁ、今日の子供の件は惜しかったが。その肝の据わり方と頭の回転の速さは、俺の妻として家のことを任せるにふさわしいと思う。どうかな?」
 首を縦には振らない。それどころか眉間にしわを寄せている。まだ口説き足りないか。どうする?少し手を変えてみるか。
「あんたに惚れてるんだ。手放したくない」
「そういうのはいらないから」
 愛の一つでも、と思えばすっぱりと切り捨てられる。こちら側の駆け引きはしないほうがよさそうだ。娘の目が心なしかさっきよりも険しくなった気がする。
「私が気にしてるのは、それができるかどうかって事。できない仕事はしない。責任持てないから。」 「どの点が不安だ?」
「そもそも。あなたみたいな城勤めの人の奥方の家での動きを知らない。知らないことをできるとは言えない。あと嫌なのは夫婦なら夜のこと。子供ができないからってつつかれるのは嫌だし、仕事だからって好き勝手されるのはもっと嫌」
「家のことは今任せている奴がいるから、それを頼ればいい。あんたのことはこの契約も含めて話しておく。夜のほうは、そうだな。それもお互いが同意したら、でどうだ?片方が嫌がればしない。親類はいないし、つつかれることも無い」
 夜のことまで詰めてくるとは思わなかったが、ここは引いておけばいい。どうせ一度抱いた女だ。どうとでもなるだろうさ。娘は懸念事項が解消できたのか、納得できたのか、思ったより譲歩されたことを面白く思ったのか、さらに条件をつけた。
「じゃあ最後にこれも付け加えて。契約違反、または契約満了後は、二度と接触をしないこと。これでどう?」
 二度と接触をしない、ね。これはこの一年がよりおもしろいことになるだろう。向こうがどう思っているかはわからないが、この小娘を自分の手元に置けるかどうか。駒としては確実に役に立つ。俺は当然手放す気はない。一年の間に落とせばいい。
「わかった。それでいいだろう」
 契約は整った。

 紙を取り出し、今あげた条件を書き上げる。最後にお互いの署名をする段になって問う。
「そういえばあんた、名前は?どうせ梅花というのも本名じゃないんだろ」
「好きに呼べばいい。名前なんて誰かわかればそれでいいんだから」
「それじゃ契約書が役に立たないだろ」
「そういうのはこれでいい」
 娘は小刀を取り出し、スッと親指を切る。切り口から血が溢れ指を濡らす。その濡れた指をためらうことなく紙に押し付けた。
「天知る地知る我知る子知る、とは少し違うけど、こんなものがなくたって契約したら私は必ず守る。あなたはどうか知らないけど。まさかお偉い軍師様が書面まで作った契約を一方的に破るなんて馬鹿な真似、しないでしょ?」
いつもの挑戦的な眼で俺を見つめる。もうこの眼を逃しはしない。
「言われずとも」
 1枚は娘に、もう1枚は自分にへとそれぞれ持つ。聞けば今の仕事はもう少しかかるらしく、実際に契約が始まる、つまり結婚するのは早くて年末ごろになりそうだ。それまでの連絡はこの店を通してすると決めたら、娘はすっと席を立つ。
「それじゃ、また」
「おっと待ってくれ、これを渡しそびれていた」
 持っていた箱を渡す。
「なに?これ」
「結納代わりだと思ってくれ」
 箱をあければ中には真っ赤な珊瑚の簪が一つ。
「持参金なんて用意できないんだけど」
「そんなものいいさ。契約の証みたいなものだ」
 箱から簪をとり娘の髪に挿す。
「あんたには赤が似合う」
 俺と娘の視線が合う。真っ直ぐに見つめるその眼の先にこの先の一年が見えた気がした。