赤い小娘



「う……」
薄暗い部屋の中で目が覚めた。後頭部がズキズキと痛む。痛む場所を触ろうとして体が動かないことに気づく。背中には固い……柱か?柱に後ろ手で縛り付けられているようだ。
(俺としたことがなんて様だ)
確か、仕事がひと段落したから一度居室に戻ろうとしていたはずだ。途中で後ろから殴られてこんなところに連れ込まれたのだろう。部屋を見渡せば乱雑に積まれたものから察して、おそらく倉庫か物置か。埃がかなり積もっているところを見ればあまり使われていないのだろう。助けを呼べば誰か気づくか?猿轡をかまされてはいるが、大声を出せば誰かに届くかもしれない。
「ああ、起きた?」
部屋の扉が開き、誰かが入ってくる。声から察すると若い女か。娘は扉を閉め、俺の前にしゃがみこんだ。顔は布で隠されて眼だけが見えている。まだ小娘のような化粧っ気もない子供じみた瞳。
「ごめんなさいね、あなたに恨みがあるわけじゃないんだけど、しばらくあなたを足止めしてほしいって頼まれてね」
衣服を見れば女官のようだが、事もなげに話す慣れた口調からはただの娘ではなさそうだ。女官の服もどこかから盗んできたのかもしれない。
「ここ、ほとんど誰も来ないようなところだから、多少叫んでも誰もこないと思う。静かにしていてくれるなら、それ、はずしてもいいけど、どうする?」
顎をしゃくり、俺の口元を指す。足止めが目的ならば、特に危害を加える気もないということか。静かにうなずくと、娘は後ろにまわり猿轡を解く。
布を?んでいた不快感から解放され、大きく息を吸い込む。
「俺をどうこうする、というわけじゃないんだな?」
「まぁ、そう。私の仕事は時間まであなたが逃げないように見張っておくことだけだから」
「じゃ時間まで俺とおしゃべりでもしてくれるかい?」
「静かにならね」
娘は立ち上がり、手首や足首の俺を縛り付けている縄が緩んでいないかを確認すると、扉の前に俺と正面に向かい合う形で座った。

「俺はいつまでこうしていればいいんだ?」
「合図が来れば解放する。それまでは我慢して」
「俺を殴って連れ込んだのもあんたか?」
「それは違う人。私は見張るだけ」
「なんだ、あんたみたいな若い女に連れ込まれたなら光栄な話だったんだが」
「殴られてそれだけ口が利けるなら頭は大丈夫そうだね」

縄を確認する几帳面さ、軽口をたたいてもけして目線は外さない。こういう仕事に慣れているのだろう。しかし、慣れてはいても所詮は小娘だ。煽り立てて心を乱せば簡単に転がせるだろう。このまま時間まで待ってもいいが、縛られ続けているなんて真っ平御免だ。少し試してみようか。
「さっき近づいたときに見えたが、あんたかわいい目をしてるじゃないか、きっとその布の下の顔もさぞかしやかわいいんだろうな」
「……」
「あんたみたいな若い娘がこんな汚れる仕事をしてるなんてもったいない」
「だから?」
娘が何をいいたいんだといわんばかりの目を向けてくる。
「そういう店に立てばさぞや繁盛することだろうよ。どうだい、こんな縛り上げた男を一人見張ってるだけより、俺と楽しい時間を過ごすなんてのは」
「馬鹿にしてるの?」
娘が立ち上がり、こちらに向かってくる。やはり小娘、単純なものだ。あとは機をみて倒すなり武器でも奪えば―― 瞬間、乾いた音が部屋に響き、左の頬に熱が走る。
「危害を加えないんじゃなかったのかっ」
さらに右の頬にも痛みが走る。
「べつに危害を加えるなとは言われていない。ただ、私にその気がなかっただけ。でも気が変わった」
なんて娘だ。
「おじさんいい男だからおまけもあげちゃうね。遠慮しないで受け取って」
さらに左をぶたれ、相手を舐めていた自分を恨む。
「悪かった、俺が悪かったからもうぶたないでくれ」
こんなじゃじゃ馬相手するより、おとなしく時がくるのを待っていたほうがいい。どうせそのうち解放されるんだ。
それまでの辛抱だ、と思ったとき鼻の下に生暖かいものが垂れるのを感じ、口の中に鉄の味が広がる。
「あはは、男前があがったね」
娘が楽しそうに笑う。そういえばおまけの一発は頬というより鼻に近いとこをぶたれていた。狙ったとすればなんて意地の悪い女だ。
「そうだ、いいこと思いついた」

「おとなしくしていてね。暴れたり叫んだりするならまたぶつから」
娘が足元の縄をほどき、俺の靴を脱がし始める。
「おい、何する気だ」
両方の靴を脱がし終えると、何も答えないままに腰の小さな袋から小瓶と筆のようなものを取り出す。これ以上ぶたれるのはごめんだが、わけのわからないことをされるのはもっとごめんだ。
「やめろ」
「大丈夫。変な薬とかじゃないから」
娘は瓶の中の物を筆にとり、俺の足を反対の手で持ち上げる。つま先を握ると、筆の先が足の爪をなでる。なでた痕がひとすじ、赤く染まる。
娘がひと撫でひと撫でゆっくりと動かすたびに筆が爪を染め上げていく。ひとつ、ひとつ、まるで愛おしいものに接するように、大事そうにじらすように丁寧に塗られていく。自分の身体が小娘の手で染め上げられていく異様な様子を見ていたら、ゾクゾクとした感覚が体を這いあがった。
そんな俺に気づいているのか、いないのか、十枚の爪がすべて染まると娘は小瓶と筆をしまう。
「俺の爪を塗るのはそんなに楽しかったかい」
「ええ、とっても」
娘は満足そうな目でこちらをみつめた。
「だって顔も爪も赤く染めるなんて、まるで小娘みたいじゃない」
ニッと目を細めると、布の奥の笑みまで見えてきそうだった。

コツン、と何かがぶつかる音がした。
音のほうを見ると、白い小石が落ちている。窓から投げ込まれたらしい。
「時間がきたみたい。楽しませてもらったから、これあげる」
娘は立ち上がり、小石を拾い上げると帯から小刀を出して俺の足元に軽く刺した。

「扉はあけたままにしてあげる。せっかくきれいに塗ったんだから大事にしてよね」
娘はこちらに背を向けることなく部屋からでていく。最後まで隙のないことだ。
開かれた扉から漏れた光が、足先の赤を照らしていた。